CHOYA チョーヤ 梅酒と歴史
CHOYA チョーヤ 梅酒と歴史
弥生時代 江戸時代中期 江戸時代後期 大正~昭和 現在

梅は古くからその花と実で
私たちに親しまれてきましたが、
梅酒の歴史は資料も少なく、
あまり知られてはおりません。
ここでは推測される梅酒の歴史を
チョーヤの歴史と重ねながら紹介します。

■弥生時代

梅の起源


梅は中国を原産とするバラ科の高木植物で、紀元前2000年頃の中国の商書に「塩梅」と記載されているのが文献上、最古の記載と言われております。日本にはその原産地である中国の長江流域から弥生時代に渡来、当初は青梅を燻製にした鳥梅(ウバイ)が漢方薬として利用され、その後花が観賞用としても親しまれるようになったと考えられております。
日本最古の歌集「万葉集」では「梅」は「桜」の約3倍の110首余りの歌が詠まれています。

梅

■ 江戸時代中期

梅酒の誕生

江戸は元禄時代、1697年発刊の「本朝食鑑」という文献に「梅酒」の作り方が記されておりますので、それ以前より梅酒は存在していたものと思われます。(いつから飲まれるようになったのか詳細は不明)ただ、当時の砂糖は貴重品であったと考えられるので庶民が気軽に楽しむようになるのはもう少し先だと推測されます。

梅の起源

■ 江戸時代後期~

梅酒の普及

江戸時代になると保存食や家庭薬として「梅」を利用するため、各農家で梅が植えられました。収穫した「梅」はそのままでは食べることができませんから、「梅干」や「梅酒」に加工して保存し、大切に食されていたようです。よく、「梅干にカビが生えると縁起が悪い」といわれますが、それは医療や衛生管理が発達していなかった当時、「梅干」が食べられなくなることを恐れてのことと言う説もあります。
また、江戸時代後期の農業書「広益国産考」には「梅を植えて農家の利益をあげることについて」という項目があり、当時の農業書の多くは自家用としてはもちろんのこと、副業としての梅の栽培および加工販売を強く奨励していたようです。

■ 大正~昭和

チョーヤの始まりと果実酒ブーム

1914 年、大阪南部の気候や土壌を生かしてブドウ栽培を始め、後に葡萄酒醸造所を創業したのがチョーヤの始まりです。1959年に梅酒製造販売を始めましたが、実はその頃は家庭での梅酒造りは違法にあたりました。しかしながら、すでに各家庭のでの梅酒造りは一般的になっており、1962年の酒税法改正で家庭での梅酒造りが認められ、梅酒を始めとした果実酒(ホームリカー)ブームがおこりました。

チョーヤの始まりと果実酒ブーム

■ 現在

梅酒市場の形成と伝統の継承

最近では産地、季節を問わず様々な食材が手に入るようになりましたが、日本で梅が収穫できるのは6月頃のおおそよ1ヵ月間だけです。その間に収穫された梅をお酒と砂糖に漬け込んで造るのが「梅酒」。
おおよそ300年、梅酒が受け継がれてきた伝統・文化を守りつつ広めていくこと、新しい梅酒の可能性を追求することがチョーヤの使命だと考えています。

梅酒市場の形成と伝統の継承 梅酒市場の形成と伝統の継承
CHOYA チョーヤの梅酒ができるまで CHOYA チョーヤの梅酒ができるまで
  • 收获高品質の梅酒のために大粒で果肉が厚く、酸度の高い国産梅を厳選しています。
  • 漬け込み完熟梅の味わいを保つため、収穫後24時間以内の青梅を漬込んでいます。
  • 熟成光や熱、空気などに触れない静かな場所でゆっくり1年以上熟成させています。
  • 検査成分分析を行い、専門スタッフの味覚検査に適合したものだけを製品化します。
  • 瓶詰規格に適合した梅酒の瓶詰、検品、包装、箱詰めをライン上で行います。
  • 発送梱包されたチョーヤの梅酒は各家庭に届けられます。
  • 高品質の梅酒のために大粒で果肉が厚く、酸度の高い国産梅を厳選しています。
  • 完熟梅の味わいを保つため、収穫後24時間以内の青梅を漬込んでいます。
  • 光や熱、空気などに触れない静かな場所でゆっくり1年以上熟成させています。
  • 成分分析を行い、専門スタッフの味覚検査に適合したものだけを製品化します。
  • 規格に適合した梅酒の瓶詰、検品、包装、箱詰めをライン上で行います。
  • 梱包されたチョーヤの梅酒は各家庭に届けられます。
CHOYA チョーヤ梅酒
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